日本航空安全啓発センターに行ってくる。
すごい久しぶりに、ブログを書きます。
ええ、色んな事がありますがおかげさまで幸せに楽しく暮らしています。
まぁ、色いろあるわけですが。
唐突ですが明後日、「日本航空安全啓発センター」に行くことにしました。
理由はいくつか、あります。
長い文面になりますが、お許しください。
随分昔になるのですが、13年前…確か26歳で結婚した年でした。
同時期に地元の青年団に所属していてその時に会長をやっていたのです。
驚くほどカリスマ性のない、だらしない会長を務めていたのを未だに記憶しています。
毎年、7月くらいになると「リーダ研修会」と言うのをやっていました。
様々な地方の青年たちと交流を深めて、リーダ性を養っていく。
それが目的でした。
一応、事前研修会の情報として役所の担当の方から「1985年の8月12日にJAL123便の航空事故があった場所だよ…」と言うのは聞いてはいましたが…。
今思えば、本当に大変失礼なことなのですが…。
当時は色々と団体をどうまとめようかとかビジョンがまとまり切れていないようなそんな感じでしたし、また新婚さんをスタートしたばかりでしたし、仕事もなぜかいきなり部署が変わって片道1時間半かけていくような現場に毎日のように行っていたので、自分の心持ちとしては本当に無茶苦茶で支離滅裂で、ストレスと不安でイッパイの毎日でした。
それどころじゃなかったというのもあったのですが、当時は特に思い入れも何もありませんでしたし、その時は
「ふーん」
という感じでした。
ドタバタしながらも迎えた、研修会当日。
バスに揺られて3時間位かかったのでしょうか。
現地で上野村の方々と出会い、村内の案内をして頂きました。
今思えば、「御巣鷹の尾根」の登山口までバスで案内してくれたのを覚えています。
丁度新しい登山道を造成中とかで、砂利道を走っていました。
また登山口に御影石で造られた「聖観世音菩薩」が印象的でした。
それでも、当時の若き自分は…本当に感性が鈍っていたのでしょう。
「そうかココが…なるほどね。それより今夜の懇親会の挨拶はどうしようかなぁ」
などと、考えていました。
若かったし、仕方がないといえば、仕方が無いのですが。
今でもカナリの未熟者ですが…輪をかけて未熟者でした。
上野村の若い方たちと懇親会で色んな事を話し、それなりにしこたま飲んで次の日は案の定二日酔いで目が覚めてフラフラしながらも大きな橋(スカイブリッジ)を渡ったり、色んな事して遊んでたのを記憶しています。
本当に最後の最後、案内されたところがありました。
それが「慰霊の園」でした。
園内は本当に…雑草はおろか、枝すら一本も落ちていないほど手入れをされていて本当にキレイな園内でした。辺りは静寂に包まれていました。
合掌をかたどった大きな慰霊塔。
その見上げる10km先に…123便が墜落した「御巣鷹の尾根」がある。
案内して頂いた係の方にそう、説明されました。
みんなで線香をあげよう。
一人ひとりが線香を上げていく。
いよいよ自分の番になって線香を上げ、手を静かに合わせる。
その刹那。
なんとも言えない「虚無感」と言うものが突如やってきて、立場とか置かれている状況とか思考とか思い込みとか全てそういうものを一切…剥ぎ取られてしまうような…
絶望感とか、空虚感というのか…
とにかく言葉じゃ言い表せきれない…抱えきれない
「とてつもない大きな何か」を感じて…、ただそこに。
しばらく…茫然自失、思考停止で。
ただ一個人として。
立ちすくんでしまいました。
たったの数秒かも知れません。
でも、この数秒は…とてつもなく深くて大きくて…長かった。
ハッと気が付いて、「慰霊の園」を見渡す。
本当にキレイなんです…天国みたいにキレイなんです。
でもそのキレイさが…なぜかとてつもなく、悲しくて、せつなかった。
やるせなかった。
そんなことを感じるヒマもなく、上野村の人たちに挨拶を済ませ、記念写真を撮って笑顔で帰りました。
でも。
揺られる帰りのバスの中で表を見ながらジッと考えていました。
「大型ジャンボ機が落ちた」
「4人の命が助かり、520名の命が失われた」
オレたちが今さっき訪れていた上野村で…
昨日、案内してくれた登山口のさらに山中の奥で…。
過去にどういうことがあったんだ?って。
それとさっきの、今まで感じたこともない空虚な感じは…一体何だったんだ?
同時に、自分の記憶を辿って、微かに憶えているのは…。
当時、7歳だったか、母の実家に里帰りしている時に爺ちゃんとお母さんが、とても厳しい顔で写りの悪いブラウン管でこの事件のニュースを見ていたこと。
小さいなりにエラい事件が起きたなと、漠然と感じていたこと。
それ以外に、本当に何も知らなかったので東京に戻り、仲間とみんなで軽い打ち上げをして
自宅に戻ってから、深夜ネットで調べました。
そうしたら、このサイトに当たったのです。
固唾を呑んで、見ました。
フライトレコーダーの記録や、音声。
事故直前に書かれた、遺書。
いろんな人の、取材記事。
目を背けたくなるような、凄惨な当時の写真。
この事件に関わる…あらゆる人達の、生々しいほどの凄ましいほどの思い、気持ち。
落ち込んだ。
本当に落ち込んだ。
なんて…なんて…。
軽い気持ちであそこに訪れてしまったんだろう。
本当に…深く深く、悔やみました。
それ以来、8月12日になると毎年、黙祷を捧げるようになりました。
現場にいようが、作業中だろうが、自然と手を合わせるようになりました。
本もいくつか読みました。
大した読書量ではないのだけれども。
あの時、無知で軽率な気持ちで行ってしまった、せめてもの懺悔と償い。
あの時感じたおそらく「畏敬の念」のようなものを、自分なりに確認したかったのかもしれません。
映画「クライマーズ・ハイ」も見ました。
後に知ったことですが、作家の横山秀夫さんは当時群馬県の地元新聞、上毛新聞で記者をやっていてやはりこの事件の取材に関わっていたそうです。
現場も見たのだろうし、自分より深くふかく、向き合い続けてあのような作品を書き上げたのでしょう。
気がついたら、上野村に行ってから13年経っていました。
事故から31年。
やっぱり、あの時「慰霊の園」で感じた気持ちとキチンと向きあいたい。
同時に、この事故について改めてちゃんと向き合いたいと思い立ち、安全啓発センターに申し込みました。
啓発センターの予約サイトを昨日の朝にチェックしたのですが予約が2ヶ月先まで埋まっていて、正直諦めかけたのですが…。
直感が働いたのか、同日夕方にもう一回チェックしてみますと丁度私の休日にキャンセルで空きが出来ていたので無事に申し込むことが出来ました。
申し込み受諾のmailが程なく届きました。
正直、なにかが働いてくれたとしか、思えません。
本当は…怖い。
色んな情報を知った上で、「123便の実物」を見るのは…怖いです。
でも、覚悟を決めて、見てきます。